「音楽」で頭角を現す 盛岡4校の音学部の演奏を聞いて感動

 本日、洋野町のセシリアホールで盛岡第四高校の音楽部の演奏を聞き、感動した。僕は高校時代、スポーツをしていて、スポーツでしか自分の表現方法が分からなかった。

 しかし、今回、盛岡の学生さんの音楽を聞き、このような自己表現があるのかと学ぶ。

1 入場まで

様々な人のおかげで、洋野町に、盛岡四校の音楽部が来ることになった。僕も町で働く身として、同行させてもらう。

広大なおおのキャンパスを周り、なめらかなソフトクリームを食べて宿泊するヒロノットに向かう。次の日のコンサートはあっという間で、13時から始まった。

2 始まり

部員と先生がステージ脇から中央に歩いてくる。すると、部長の方が歌い始める。その重厚でもあり、繊細な歌声は、このステージの幕開けにふさわしすぎた。

歌は全部で6曲以上あったと思う。全国大会に出場するほどの実力があるため、いや、その経歴を知らなくても、圧倒的な実力が分かる。

ピアノを弾く学生さんもいて、歌う(この漢字であってるかな)学生さんとともに会場を包み込む。

3 気づき

このコンサートを聞いた僕は、ただただ「かっけぇ」という言葉がはんすうする。

僕が通った高校にも、音楽の部活はあった。しかし、大会で優秀な成績を残して表彰されていても、その表彰式を見ている同じ学生は、その名声と紙の賞状、有機物でできたトロフィーなどの表彰物しか見聞きできない。

やはり、実際にその人が、その場で表現している場や雰囲気を味わえなければ本当のすごさは伝わらない。

そのような場に、高校生のときに行かなかった自分がもったいないと思う。そして、そのように知らずに生きる学生も少なくはない。

4 知る機会

僕の活動として、どんな人にも個性や好きがあるのであり、それを表現できる活動や人に繋げていきたい。

盛岡四高さんの音楽は、その一つで、音楽が好きな学生は知っているだろう。しかし、盛岡という人口の多いところではそれを知る機会もあるが、学生の部活動が限られた地域ではそれを知る機会はないのかもしれない。

新聞部、科学部が東京にはあるけれど、地方の子どもがそんな部活動と、それで自己を表現している人がいることを知らずに、それが得意であろう子とマッチしないのはもったいないとも思う。その子が「自分は何をすればいい」と感じているならなおさら。僕が拡散的思考の仕事があると知らず、そのような活動が好きであるに、それを知らずに23歳になってようやく拡散的思考のお仕事に出会えたように。

このように知る機会(コンクールも含めて)を収集して。それがどのようなところにいても知れる場を、機会を作ることも大切であると感じた。

とりあえず、音楽をする四高の学生さん、めっちゃかっこよかった。