“日常という宝” 自分の仕事おこし師

自分はつまらないと思っていた日常を切り取って、雑誌を作ってる人がいる

 イベント・企画が仕事だと思ったけれど、それは目立つものであるという、~すべきという思いがあった。

 その思いは、広域のその地のことを考える人を増やすという目的の元、東北3県の移住を支援者を対象とした、学びの会で覆される。

 講演の中では、「日常を切り取る」という言葉が僕の心の中に残った。

 相模湾が青く輝く真鶴市で雑誌を作り、泊まることもできる出版社を営んでる人の話を聞いた。

 その方に「本屋をやりたいです」と思いを投げかけ、その人は笑いながら答えてくれた。

 本屋は、単体でやるよりも「カフェ・コワーキングのスペース」と併設をするのもいい。

 「大学でカウンセラーになるための勉強をしていました」との話をしたら、本を並べながらカウンセリングをするっていう手もあるとの言葉をいただいた。

 僕はこれから本の編集もするし、本の販売も車から始める。この人は。日常を切り取って「日常」という冊子の編集をしている。

 その日常を残るものとして、そこで生きる人の生きる力・活力(その人が言うに精神性)を育んでいく営みが、関わる人の生きる力を醒ましていく。

 日常を冊子で綴り、先人が残した美の条例(神奈川県真鶴市の美しさを言葉と文章で後の人に街づくりにちて教えてくれる本)を30年後と残している人がいる(これが目指しているもの)。

 新しくその土地に来る人を、元いる人に紹介するという形で街歩きをして、日常の中で生きている人の日常に活気を再確認させる姿勢を、私も参考にしたい。